どうしても、こどもの泣き顔はじっと見てしまう。
どの子でも、そのかわいい顔がどんどんどんどん歪んでぐちゃぐちゃになり、はらはらするほど不細工になり、仕上げに真っ赤っかになって、どかーんといく。
その歪んだ、はらはらするほどの不細工な顔は、どこか魅力的で美しいので仕方がない。
あんな思い切った号泣は子供のイメージですが、子供だけのものではない。それを公でやることに何の気兼ねもないので、見る機会が多いというわけで、号泣だったら「大人」の私だって負けません。ただ公にその顔をさらすのに気兼ねしているだけです。
自分のひたすら号泣している顔など見たことはありませんが、その最中に、自分の顔が普段動かしていないような筋肉を思いっきり使っていることは自覚しています。「すっごい顔してそう」、これが気兼ねへとつながるのでしょう。
さて、もしかすると、人の泣き顔は一生を通して同じなのかもしれない。生後0日
の赤ちゃんのしわしわぐちゃぐちゃの泣き顔は、「若さ」とは呼べない顔をしています。
その子が5ヶ月になっても2歳になっても、泣き顔から「若さ」は感じません。15歳だろうと35歳だろうと85歳だろうと、同じ顔をして泣いているかもしれません。泣き顔の魅力というのは、その年齢を越えているところにあるんでしょうか。
こどもが泣くと、その顔につい笑ってしまうのですが、小さい体に鬼のお面が付いたように見えて、しかも大きな音を小さな体で立てるので、そのギャップが可愛らしいんですよね。
「大人」が時々「私もこんなふうに泣きたくなることがしばしば」などと冗談半分に言いますが、確かに羨ましいものです。大人の私が、いつもは蔵にかくしておいてるようなものを、こんなに見せてしまっていいのか?と、そんな気持ちがあるのでついそのさらけ出された泣き顔にはらはらするのでしょう。
友達が以前「ブルー・ベルベット」というデビッド・リンチ監督の映画を見た後で、「一番最後の女の子の泣き顔があまりに凄くて、デニス・ホッパーの酸素ボンベまで使ったあの変態ぶりまでがかるーいものになってしまった」という意味のことを言っていたのを思い出しました。泣き顔強し。
こんなのんきな考えが出てきたのも、犬がわんわん吠えるドッグ・ランの横で、思い切り泣いて全く差し支えないところにいたからでしょう。これがレストランとか長距離の飛行機内だと、出てくるのは冷や汗とため息とおくれ毛。
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