食事の時間が近くなると、どこからともなく灰色の雲が寄ってくる。
4月に入ってからこのかた、どうも食べ物の選り好みが目につくようになった。白いご飯と海苔に焼き魚、納豆、刺し身、そしてベイクド・マカロニ・チーズ、これ以外だと極端に言えば、舐めもしない。これだけ食べたらよいではないかと思うだろうか。これだけ食べさせとくわけにはいかないですよね。いろんなもの食べれるようになってほしいですよ。以前は豚汁でもハヤシライスでも牛丼でもぱくぱく食べていたのに、このところお味噌汁さえすすらなくなった。 こどもが食べると思えば、味付けも材料の切り方も料理の温度にも気をつけて、私とまな板の間や私とガス台の間に割り込んでくるけっこう力のついた2歳児のぐずるのにも気を付けて、時間とも競り合いながら作ってるんです。テーブルについて、お皿を見て、また下りるっていうのはこりゃどーいうこっちゃー!こらー!待てー!この間買ってきた幼児向けの料理の本見てて、これ作ってって言ってたよ、ちみは。トーマスのビデオなんか見せてやらん。泣かんでくれ。空腹時は泣きやすい。泣いたらご飯は食べない。食べないといつまでも泣き止まない。悪循環の暗雲だよ、もー。
あんな台所で危ない相撲なんか取ってるから時間を食って、タイミングを逃したということなら、こんどはテレビを見せておく。テレビを見ている時のこの子の顔ほど見るのが嫌なものはない。こどもの泣き顔は、ここまでやるのかというほどブサイクになるが、笑っちゃうほどかわいい。しかしこのテレビに魂を吸われてるこの顔は、いけない。私もこんな顔しているんだろうか。こどもの頃、おばあちゃんと二人でテレビの相撲の取り組みを見ていて、二人共口を半開きでいるところをお母さんに指摘されていた覚えがある。
さーて、6時だ、ごはんが予定どうりにできたよーって、テレビから離れないではないか!消そうよテレビ、だめ?消せば泣きそうだから、ここはひとつ穏便になにとぞ・・・テレビつけたままとなりの部屋のテーブルにどうぞ。ひと口、ふた口、あ、立つなよ、もうごちそうさまするなー!テレビが呼んだー?だから始めからテレビなんか見させるんじゃなかった。 がっかりするとき、頭でも心臓でもがっかりはしない。がっかりは、胃がする。ろく
に食べないと見ると、この胃の上のあたりがコーンと言って、その辺にあったはずの臓物が暗い底にでも落ちてったみたいな、もう、がっ、かり。
追いかけて、食べるんだったら食べさせていたけど、荒療治しないといけないのかもしれない。それともほっておいたらそのうち何でも食べるようになるんだろうか。それとも、荒療治が要るのは私の方で、料理の腕を上げないといけないとでもいうのだろうか。
時々子供服のお下がりをくれる、そのモロッコ人のお母さんは、「マイサンドントイ・トエニスティ・ル、バタイドントウォーリー。(うちの息子は未だ何も食べないけ
どわたしは心配してないよ)」と、ヘビーなフレンチ訛りの英語で軽快に言った。軽快というのか、淡々としているというのか。抑揚がなくて、どんな内容も彼女の口から出ると、タイプライターで打たれた英語の文面でも見ているようで、聞いてるうちに自分が重いと思っていたことが勘違いのような気がしてきて、お下がりをチェックする手も軽くなる。
私の考えすぎは確かだろう。それでも、やっぱりいろいろと食べてほしい。生野菜のうまさから、炒った蜂の子のうまさまで知って欲しいのだ。欲を言えば。欲というのは不思議だー。こんな欲のおかげで、あしたもくじけず、食べてもらえぬ
ご飯を作る気になるのだ。いや、食べるかもしれない。気長にかまえて突っつき続けるべし。卓球部だったし。
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